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MILLENNIUM STEAM

MILLENNIUM STEAM の世界・大局的な時代背景


「概説」と似た内容ですが、時代背景として書かれた世界の設定です。

MILLENNIUM STEAM 
大局的な時代背景

■はじめに
 17世紀から19世紀のヨーロッパは、人類社会を一変させた各所の革命が続発した時代です。世界認識を転換させた科学革命、ヨーロッパの世界制覇を可能にした軍事革命、生産力を激増させた産業革命、そして近代的政治体制をもたらした市民革命などが、相互に絡み合いながら進行していったのです。
 これらの革命の発生時期や波及効果によって「ありえたかもしれない世界」
 それがMILLENNIUM STEAMの世界なのです。

■MILLENNIUM STEAMに至る歴史
 「MILLENNIUM STEAM」の世界は現実の世界の18世紀後期を想定しています。
 それに先立つ16世紀から17世紀、ルネッサンスと共に開始された科学革命は、宗教改革のからみもあって現実とは異なる道を辿ります。科学が合理主義を貫徹せず、練金術や占星術など神秘主義を内抱したまま進行したのです(その理由については宗教改革の影響等が考えられます)。それにより現実とは異なる科学的成果……特に素材面におけるそれが…生み出されたのですが、合理主義や啓蒙思想の遅れは市民革命と資本主義の進展を妨げることになります。
 この世界では石炭燃料による製鉄技術が早くから研究され、採炭を容易ならしめる蒸気ポンプの研究が促進されました。結果としてコークス製鉄と蒸気機関が1世紀早く登場し、練金術の影響による素材革命により驚異的な進歩を遂げます。特に熱効率の追及により、極めて大出力のエンジンや小型エンジンが生み出されたことは、内燃機関や電動機の出現を大きく遅らせます(科学の発展過程の偏向により、電磁気学は1世紀近く遅れることになります)。
 このようにして人類の生産力が増大し、産業革命は1世紀ほど早く到来します。しかし合理主義が確立しなかったために、啓蒙思想と市民革命の進展は遅れています。ブルジョワ階級の力が弱く資本主義の発達は遅れ、工業生産はギルド的性格を脱しきれていません。機械工業は啓蒙専制君主にパトロネージされた工場主によって担われています。このため自由競争の出現は遅れ、重商主義による国家統制の下に置かれています。
 軍事技術は鉄鋼生産の増大にもかかわらず、それほど発達はしていません。17世紀のドイツ三十年戦争は熾烈なものであり、ドイツ国内はほとんど荒野と化してしまいました。これが欧州諸国の恐怖を呼び起こし、まる1世紀以上の間軍事力の本格的行使が自粛されたからです。この期間に啓蒙専制君主が行った紛争は、極めてゲーム的かつ儀礼的なものでした。このため諸国は戦わずして敵を屈伏させる、威嚇的効果の高い新兵器の開発に奔走しますが、それは有効な軍事理論の裏付けを欠いたものとなっていきました。
 恐竜的進化を遂げた18世紀の軍事技術は、傭兵制と極端な機関化に多くを負っていました。傭兵たちは高価であることから、損失を避けるための保護に意が払われ、見捨てられつつあった甲冑が再び強化されます。高効率の小型蒸気機関の発明により、機動性を維持しつつ防護を強化することが可能になったのです。しかしながら兵士の蒸気駆動化は、水、石炭等の大規模のシステム的補給等の問題を発生させました。そこで食料・弾薬・燃料を満載した前線補給基地(つまり城砦)それ自体を蒸気化し、敵地に向けて前進させるという理論が考案され、ここに「機動城塞戦理論」が出現したのです。
 いずれにせよ18世紀の戦争は、ほどんど小規模で単期間なものであったため、これらの兵器と理論の妥当性はろくに検証されませんでした。しかしこの世紀の後半、ようやく資本主義が進みはじめるにつれて、世界市場をめぐる争いが本格的戦争を生み出すことになります。

■対立の構造
 16世紀末の神聖ローマ帝国皇帝ルドルフII世は神秘主義に傾倒し、練金術師や占星術師を重用していました。この時代の神聖ローマ帝国には、時代に先がけた様々な科学技術の研究が密かになされていたと言われています。たとえばデカルトやジョン・ディー、ニュートンなどの天才はルドルフII世の遺産から少なからず恩恵を受けていたようです。 しかしハプスブルグ家は宗教改革に端を発する度重なる宗教戦争により足を引っ張られ、その科学技術の種子が開花することはありませんでした。17世紀に入り三十年戦争で疲弊したハプスブルグ家は、オスマン=トルコ帝国の攻撃で首都ウィーンを失い、その勢威を失墜します。その貴重な科学技術資料は欧州諸国に伝えられ、17世紀の欧州諸国で一斉に開花します。
 「第三のローマの滅亡」と呼ばれたウイーン陥落は、名実共にローマ帝国の終焉でした。少なくとも、ローマ帝国のような単一の政体による欧州統合という理念の崩壊であり、以後は各国の勢力均衡による平和の維持が理念となります。また三十年戦争による荒廃と、その間接的結果としてのウィーン陥落をまのあたりにした諸国は、軍事力のあからさまな行使を回避しながらも、科学技術の開発と君主への権力集中を進めていきます。こうして17世紀末から18世紀、蒸気機関と鉄鋼生産技術が進展し、絶対君主政の保護による富国強兵政策が展開されます。
 イギリスでは清教徒革命が起き、オリヴァー・クロムウェルによる新王朝が開かれて絶対君主政がはじまり、いちはやく蒸気機関とコークス製鉄を実用化したこともあって産業革命に突入します。
 フランスではヴァロア朝ルイ14世の下に科学技術とロココ文化が繁栄し、華麗な大移動要塞を生み出します。
 ウィーン陥落により最大の利益を引出したのが、ホーエンシュタウフェン朝プロイセンでした。プロイセンはオーストリアの領土と魔術的技術を継承する形で勢力を伸ばしました。いまやバルト海からアドリア海まで領土を得たプロイセンは王国に格上げされますが、トルコやロシアに対する危機意識を高め、「蒸気王」「鉄道王」など歴代の君主の主導による傭兵軍の蒸気化に奔走します。
 ロシアでも混乱する国内をまとめたピョートルが、自ら先頭に立って最先端技術を吸収し、トルコに対抗すべく異常な速度で重工業化を進めます。
 オスマン=トルコはウィーン占領の後、ドイツ諸侯の連合軍によってドナウ南岸に追われました。しかしその際にウィーンから最先端の科学技術を奪い取り、国内改革に取り組んで巻き返しを図ります。
 こうした生産力の増大によって新大陸やアジアとの通商が本格化し、イギリスとフランスは植民地獲得競争をはじめ、対立を引き起こします。また東方ではバルト海からアドリア海までの領土を獲得したプロイセンが、ロシアやトルコと三国鼎立状態となります。こうして欧州は緊張が高まり続けていきます。
 18世紀後半。プロイセンはロシア・トルコと共にポーランドを分割。東方の勢力権について協定に達すると蒸気兵団を西方に進め、ドイツの小国群から無理やり推戴を受けて「ドイツ皇帝」を名乗ります。これこそはハプスブルグ家の崩壊と共に滅び去ったはずの、ローマ帝国の復活を目指すものでした。これを阻止すべくフランスはドイツの欧州制覇を妨げるため動員を開始、またロシアも態度を再度硬化させました。イギリスは新大陸・インドでの対立からドイツと同盟を結び、英仏海峡を渡ってネーデルランドに派兵します。またトルコもバルカン半島に蒸気兵を進めますが、いずれの陣営に加わるか予断を許さぬものがありました。
 こうして蒸気兵器がはじめて本格的な戦争を行う「MILLENNIUM STEAM」の時代が幕を開けるのです。

by GORO

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